エターナル・サンシャインを見た
2005年04月02日
今日はエターナル・サンシャインを見てきた。
川崎のチネチッタに行ったのは新しくなってから始めてかな。
ずいぶん前に新しくなっているけど川崎で映画を見るってことがほとんどなくて、やっと今日行ってみた。
映画の事を書く前に未来検索でこの映画を検索して、感想をいろいろと見てみて気になったのは”メメント以降”多くなった時間軸をトリッキーに使っていると書かれている点。
メメントもエターナル・サンシャインも確かに時間軸をトリッキーに使っていると思うけど、どちらもそれがあるから映画を維持できるという風には感じない。
時間軸の使い方ありきの映画ではないと思うので、引き合いにだすのはちょっと違和感を感じます。
もっと別な物で映画が成り立っていて、それはメメントとエターナル・サンシャインでは全く別だと思います。
メメントと同じ監督のその次の映画、インソムニアはどちらも記憶と記録の違いの難しさを扱っていたと思っています。
エターナルサンシャインの方は記憶の扱いをどうするか、についてかなぁ。
書いていてどっちも記憶がからんでくるし、やっぱり似ているのかも、なんて気がしてきました。
けど、やっぱり違うかな。
この映画のポイントは医者とその病院の受付嬢のエピソード。
この2人がチューしているところを受付嬢の彼氏である技術者が外から見守っているシーンがかなり大きい。
そこに医者の奥さんの台詞。
ここまで極端じゃなくても現実にこれと同じようなことは起こりうるんじゃないかと思う。
この世界じゃ今のところ特定の記憶だけ消すなんてことはできないけど、精神的な気持ちの部分で特定の記憶を押さえつけることはできなくもなくて、実際前の彼氏彼女を忘れるために別な男女と付きあうなんてこともあると思う。
でも、この映画を見た後は昔のことを無理に押さえつけないで受け入れることが大切なんじゃなかろうかと思える。
この映画を見て、彼氏彼女に惹かれる理由はもともと自分にあるんだなぁと思いました。
もともと自分にあるものは、別れた彼氏彼女の記憶を使って作られ、次に続くんじゃないかと思う。
だから押さえつけない方が次の彼氏彼女をもっと好きになれるのかもしれないなぁ。
希望的な考えだけど。
投稿者 higuhigu2000 : 2005年04月02日 21:30